Vo.G/
David Sylvian

1958.2.23生
B/
Mick Karn

1958.7.24生
Drs/
Steve Jansen

1959.12.1生
Key/
Richard Barbieri

1957.11.30生
G/
Rob Dean

1955.4.23生
4th Album
参加後脱退
 ★G/土屋昌巳(ラストツアーでのサポートギター)
 
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活動期間/1976年〜1982年

南ロンドンのルイスシャン出身のバンド。
ロンドン・ケント州ベッケナム生まれのDavid Sylvian、スィディナム生まれのSteve Jansen(二人は兄弟。本名姓:Batt/バット)、キプロスの首都ニコジア出身で3歳の時にイギリスに移住してきたMick Karn(本名:Antony Michaelides/アントニー・ミカエリデ。元々は貴族だったらしい?)、この3人が通っていたキャットフォードにあるセカンダリー・スクール時代、'74年にバンドを結成。結成当初はMickが街のオーケストラでバスーンを吹いた経験がある以外、誰も楽器についての知識はほとんどなかった。Steveは30ポンドで中古のドラムキットを買い、結成2週間後に初めてのライブを行ったが大不評、その後はDavidかMickの家で独学で楽器の練習に18ヶ月を費やした。校則で女子の化粧は禁止されていたが、男子の化粧は禁止されていないと勝手に解釈、長髪を染め化粧をして通学していた。クラスメイトからは歓迎されるものと思いきや学校側と同じように敵視されるようになり、のちに級友との校庭での大喧嘩を機に3人とも放校処分になる。バンドに一層力が入るようになる。

音に厚みを持たせるためキーボードの必要性を感じ、同じ学校だったRichard Barbieri(ルイスシャン生まれ。両親はイタリア人)に声をかける。Richardはオルガンを買い5ヶ月の練習の末、簡単なオーディションを受け'76年1月にバンドに加入。Richardは卒業後、バークレー銀行に就職していたが、銀行を辞めての正式加入だった。この頃、バンド名を「JAPAN」と命名。理由は人々を混乱させるため、響きが良かったなど特別な意味はなく曖昧なものらしい。更に、ギターとヴォーカルを兼ねていたDavidはヴォーカルがおそろかにならないために、メロディーメイカー紙に17〜18歳のギターリスト募集の広告をだす。年上にもかかわらずそれに応募してきたのが、当時21歳のRob Dean(クラプトン生まれ)だった。


メンバーも固まった所でライブ活動を本格的に行い始める。
その頃ジェフ・ベック在籍時のヤードバーズやマーク・ボランのマネージメントをしていた事もあったサイモン・ネピア・ベルと出会い、彼がJAPANのマネージャーとなる。デモテープを作りイギリスのレコード会社各社に売り込むも、当時全盛だったパンクでもまたヘビメタでもなかった彼らは、化粧をした時代遅れのグラムロックと誤解され全く見向きもされなかった。
その頃イギリスに進出してきていたドイツのアリオラ・ハンザレコードが、ティーン向けのポップアイドルグループの新人を探していた。そんな彼らにJAPANのスチール写真が目にとまった事から契約を果たす。ドイツでは市場の大部分を占める大きなレコード会社で、イギリスのバンドが契約するのはビートルズ以来だったらしい。(本当か?)その後、アリオラ・ハンザは本国ドイツのスタジオにJAPANを送り込み練習させ、ステージデビューさせ大宣伝を打ち始める。

'78年4月に「ADLESCENT SEX/果てしなき反抗」でレコードデビュー。ブルー・オイスター・カルトのイギリスツアーのサポートバンドをつとめる。2月に先行発売されていた1stシングルはアルバム中、唯一の非オリジナル曲でバーバラ・ストライザンドが映画「ファニー・ガール」の中で歌ったミュージカルナンバー「パレードに雨を降らせないで」だった。ドイツではそれなりに人気も出るが、彼らの本国イギリスでは「ロックとファンキーなサウンドが粗野に混合した駄作」「ニューヨーク・ドールズのコピー」等、酷評されただけだった。また、Davidは「ミック・ジャガーとブリジット・バルドーの混血児」なんて言われていた。そんな酷評にもめげず、ハンザはユニセックス的アイドルバンドとして更に大々的にJAPANを売ろうとしたが、結局イギリスではセールスに結びつかなかった。日本では'78年9月にアルバムが発売されるが、バンド名とルックスからか発売以前にファンクラブが出来ており、発売当日に1万5千枚、1週間で10万枚突破という当時としては記録的な大ヒットセールスを遂げた。音、歌詞的には従来のアイドルバンドのそれとは違うので、その辺はやはりルックスによるものか?

1stから半年も経たずに10日間でレコーディングされたという2ndアルバム「OBSCURE ALTERNATIVES/苦悩の旋律」を'78年10月発売(日本は11月)。この2枚のアルバムは、バンドとしての方向性が定まらないうちにほぼレコード会社によって強制的に作らされたもので、メンバーには不満の残る作品だった。同年11月、初のアメリカツアー。'79年3月には初の日本公演で日本武道館を満員にする。
日本からロスへの飛行機の中で日本の印象を基にDavidに書かせたシングル「Life in Tokyo」を、'79年8月発売。プロデューサーがドナ・サマーなどを手がけたディスコ・ブームの生みの親的ジョルジオ・モロダーだったため、その曲もディスコ調になる。このシングルを転機に更に音楽の方向性がエレクトロニックな手法に変わり、その第1弾がJAPAN自身で起用した、ブライアン・フェリーやサッド・カフェなどを手がけたジョン・パンタープロデュースによる、'79年12月発売のアルバム「QUIET LIFE」。このアルバムでイギリスでも多少評価されるようになるが、中にはまだ「ロキシー・ミュージックのコピー」と酷評するものもあった。ライブのためにサックス奏者を募集し、その日のうちに来た女性サックス奏者ジェーン・ショーターを起用する。彼女も引き連れ'80年3月、2度目の来日。


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「QUIET LIFE」の評価にJAPANを見限ったのか、'80年6月アリオラ・ハンザが次のレコーディング費用の投資を拒否した事から、ヴァージン・レコードに移籍。その後ハンザとの契約上のトラブルが訴訟問題にまで発展し、ヴァージンとの契約金の大半をハンザに支払い解決する。この頃、坂本龍一がソロアルバム「B-2 UNIT」のレコーディングをロンドン・エアスタジオで行っていた。そのスタジオの隣りをJAPANが使用していた事から交流が始まる。'80年11月(日本は12月)「GENTLEMEN TAKE POLAROIDS/孤独な影」発売。その中の「Taking Islands In Africa」は教授との共作。やっとマスコミでも好意的な評価を得て一躍有名なバンドになったが、当時ブームだったニュー・ロマンティックと一緒にされそうになる。そのお陰という話もあるが。。
'81年2月、3度目の来日後、Rob Dean脱退。(その後、Robはカリフォルニアのローカルバンド、「VIVA BEAT」に加入)5月イギリス国内でツアー(これにはRobもゲストギタリストとして参加)。サポートバンドはモダーン・イングリッシュ。6月、Mickが日本女性とロンドンのオクトーバー・ギャラリー内に「ペンギン・ギャラリー」というレストランを開店するが、1ヶ月で閉店。

'81年11月(日本は12月)「TIN DRUM/錻力の太鼓」発売。ブライアン・フェリーの他、ペンギン・カフェ・オーケストラなどを手がけたスティーヴ・ナイとJAPANの共同プロデュース。イギリスチャートで最高5位にランクインする。その間、JAPANの人気に便乗したアリオラ・ハンザは各種のシングル盤やハンザ時代の曲を集めたベスト・アルバムとして「ASSEMBLEGE〜JAPAN's Early Days」などを発売し、皮肉にも好セールスとなる。「TIN DRUM/錻力の太鼓」発売後のイギリス国内ツアー中(サポート・ギターはデヴィッド・ローズ)、前々からツアーは嫌いだとDavidが公言していた事からか解散の噂が流れる。

'82年1月〜3月「The Art of Parties展」というMickの彫刻とSteveの写真の展覧会が渋谷、札幌、大阪・心斎橋のPARCOで開かれる。'82年4月、ジーンズ・メーカーのLevisが、イギリスで特別クーポンを持参してジーンズを買うとスペシャルアルバムが貰えるというキャンペーンを行い、そのアルバムの中にはJAPANの名前もあった(どんなものだったんだろう・・)。同月、解散の噂を打ち消すかのように同年10月からのヨーロッパとアジアを回る大規模なツアーを発表。しかし各メンバーのソロ活動が発表された事や、DavidとMickが不仲である事も雑誌インタビューから露呈し、それが本当の解散ツアーとなってしまう。解散理由はやはりDavidとMickの関係、メンバーそれぞれの成長による音楽性の方向相違によるもの。ツアーはストックホルムから始まった。この時のツアーのゲスト・ギタリストが土屋昌巳。サポートバンドはサンディ&サンセッツ。同年10月、ヴァージンより「Some Kind Of Fool」というシングルが発売予定だったが、中止になる。'82年12月、ツアー最後の国、日本で4度目の来日を終え12月18日に帰国。これを最後に活動停止。

JAPANに一貫していた当時まだ珍しかった化粧という仮面と異国趣味的な歌詞は、Davidの超内向的な性格と逃避願望を表すモチーフだった。途中エレクトロニックな手法に方向転換し、過剰とも思える複雑なリズムと独自なサウンドを獲得していったその成長ぶりは目を見張るものがあった。ラストアルバムとなった「ブリキの太鼓」で、Davidは「初めて自分を開く試みをした」と発言し、JAPANというバンドの役目は終了した。(その曲が「Ghosts」でJAPAN史上、イギリスでは一番売れたシングル)デビューからの活動期間はたったの4年だが彼らが後の人々に与えた影響は大きなものだった。
現在もRobを除く各メンバーがそれぞれ活躍中。


★プロフィールは大まかにピックアップしているので、完全ではありません。もしかすると内容も微妙に事実とは異なる事があるかもしれませんが、本によって記載が相違していたりするのでその辺はご了承ください。もっと詳しい事を知りたい人は他のサイトへ(他力・笑)
<参考:JAPAN HISTORY、OFFICIAL BIOGRAPHY、CHRONOLOGY BY OIL ON CANVAS、IN ROCK他>



JAPAN EARLY OFFICIAL BIOGRAPHY
What can you say about JAPAN? In the face of punk, New Wave, and now Power pop, JAPAN do not fit in. With mop top and spikey haircuts all the rage, JAPAN have theirs dyded in shoulder-length shaggy manes. They were make-up, eye shadow, rouge and lip stick on and off stage, and the walk about the streets of London wearing outrageous, bright flamboyant clothes. To say the least JAPAN stand out like a laser lightshow. They find that because of their appearance it can be unsafe to walk about London, but then again they are staunchly independent and non-conformist. There is always a small price to pay in defence of your ideals. JAPAN have been together in an embryo form for a few years now. Their history or roots go back to their school days when Mick Karn, Steve Jansen and David Sylvian all knew one another and were already living their lifestyle of bright clothes, long hair and make-up. Obviously this threesome were mercilessly ridiculed for their dress but it didn't matter, they only laughed. Let everybody else be boring and staid look-a-likes, theirs was the JAPAN look.
And the name JAPAN, it must have significance, but it doesn't. It was one of the many suggested, and it had just the right ring, it was descriptive, it was far out, and it was Far East. It was ideal suited them.

Steve bought his first drum kit for 30pound two weeks before their first gig. This gig was a momentous occasion for the boys because it was the first time they used electric equipment and also it was the same day that a live album by Eno and friends was released-june 1st 1974.
Half an hour before they were due to go on they were still practising their set. It was all their own material written by David and as he says about his songs "they are very real, I don't deal with fantasies. Everything I write is an emotion." They survived that line-up needed expanding and one day they met up with ex-school mate Richard Barbieri. He was enthralled with the idea of becoming part of JAPAN so he bought himself an organ, practised intensely for 5 months, came back for an audition and was accepted.
He didn't hesitate for a moment to give up his mundane job in a bank. At first he took a few lessons but he positively feels "after a while you have to learn to play in your own style." In the last 3 years he has made great strides in his musical development, presently experimenting in electronic music.
JAPAN still felt they required another guitarist as their music was be-coming more mature and complex. An ad was placed in Melody Maker and Rob Dean responded. Rob had some past experience playing in various small groups and just before he linked up with JAPAN he nearly joined a reggae band. That was in January 1976. His lead guitar work, heavily influenced by Eric Clapton, Jeff Beck and jazz guitarists, not to mention Iggy and David Bowie, has added a new dimension to JAPAN's music.
JAPAN were getting more and more gigis to the extent where they were asked to support Jim Capaldi on his last tour.
Formal record company recognition came when they were signed to Hansa Productions, and subsequently Ariora/Hansa re the German Record Company who recognised that they were above and beyond the then current New Wave craze.
They have now completed their first album 'Adolescent Sex' produced by Ray Singer which is to be released on April 7th. As the title suggests and David opines, "the main point of it is sex, but I don't find sex exceptionally great, I find it boring the time, It's only great when it's experimental."
All the tracks on the album are written by David except for one "Don't Rain On My Parade", the famous Barbra Streisand song from "Funny Girl" which has been chosen as JAPAN's first single.
Like JAPAN the country, the future for JAPAN the band looks very bright and rosy. With an unique and powerful first album under their belt and a support spot line up with the hugely successful Blue Oyster Cult, JAPAN is all set up to conquer England.



◆Japan Nightporter◆
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